第二次世界大戦が始まったとき、コカ・コーラはアメリカと、他数か国で販売されているだけでした。このコカ・コーラが、どのように世界に広まっていったのでしょうか。
孤立主義を貫いていたアメリカですが、日本軍から真珠湾の攻撃を受けて、とうとう第二次世界大戦に参戦します。当時、コカ・コーラは兵士達の演習時に支給されており、ノンアルコールで元気が出る飲み物として人気の飲み物でした。アメリカが参戦すると、コカ・コーラ社の社長は「たとえどこで戦っていようとも、又我が社にどれだけ負担がかかろうとも、軍服を着た全ての者が 5 セントのコカコーラの瓶を飲めるようにしろ」と命令したそうです。
そして、コカ・コーラ社の働きかけにより、コカ・コーラは不可欠な軍需品として認められ、1942 年には砂糖の配給制をコカ・コーラ社だけが免除されました。他の砂糖を使った飲料メーカーが生産にを半分に落とさなければいけなかったのに対して、コカ・コーラ社は従来の生産を続けることができました。軍需品として認められたコカ・コーラでしたが、瓶づめされたコーラを基地に船で運ぶのはかなり大変でした。なので各地のアメリカ軍の基地にコカコーラ社の社員が派遣され、世界各地に 64 ものコーラの瓶詰め工場が建てられました。コカ・コーラの社員は軍の階級も与えられたため、「コカコーラ大佐」とも呼ばれたそうです。
アメリカ兵は、コカ・コーラに強い愛国心を感じていました。ある兵士は、「なんのために戦っているのかと訊かれたら、ぼくらの半分はまたコーラを買うために、と答えるだろう」と言っています。そして、コカ・コーラは北アフリカ、ヨーロッパなど、アメリカ軍と共に世界に広まっていきました。各地で生産されたコーラは、基地の近くに住む民間人にも飲まれました。飲んだ人の多くはその味に魅了されました。 第2次世界大戦とアメリカ兵のおかげで、コカコーラは世界中に認められたのでした。