マリの人たちは私を放っておいてくれなかった
画像: David Peterson on Pixabay

マリの人たちは私を放っておいてくれなかった

2023/7/12

先日NHKで放送された『こころの時代〜宗教・人生』が印象的だったので、内容の一部を紹介します。この回で紹介された人物は、ウスビ・サコさんでした。彼はアフリカのマリ共和国出身で、京都府の京都精華大学の学長をされています。サコさんは、日本からマリへホームステイをするプログラムを行っていました。

そんな中、ある年に参加した女の子は、出発前の面談で少し質問をしただけで緊張で泣き出してしまいました。サコさんは、彼女はマリへのホームステイでうまくやっていくのは難しいのではないかと思っていました。しかし、ホームステイ中に彼女はみるみる明るくなっていきました。ホームステイの最後にパーティーをして、日本の踊りを披露することになると、彼女はほぼ先頭を切って踊っていました。サコさんが「え?どういうこと?」と思い、彼女にそのわけを聞いてみると、マリのホームステイ先の人たちは、彼女が嫌がっているのにも関わらず、みんなでどんどん声をかけてきて、どんどん質問して、買い物に無理矢理連れて行きました。それが彼女を変えたといいます。

日本は私をほっといてくれたけど、マリは私をほっといてくれなかった。 だから私も自分と向き合って自分が変わった。

ということだったのです。

サコさんは番組のインタビューの中で、こう言っています。

日本の皆さんは、しゃべれない人がいたら、「あ、この子しゃべれないんだったら彼(彼女)の為にほっときましょう」という風になってしまうんですよ。本当はそれを乗り越えたいと本人は思っているのにのに、尊敬尊重するという意味で、そのままの自分をほっとくし、作ってしまう。彼女が踊っているのを見たときは、ショックで涙が出るくらいの出来事だったんですよ。

私はこの番組を見て、他人に干渉することは、意外と悪いことではない、と思いました。(もちろん、周囲の人が関わりすぎることによって本人がさらにふさぎ込んでしまったり、良くない方向に行ってしまうことはありますし、干渉にも限度はあるでしょう。)「他人は他人だから関わらないで放っておこう」という姿勢は、自分を守るための言い訳のような気もします。自分が関わって、もし断られたら、もし嫌われたら、自分が否定されたことになる、という心理です。本当は、断られても、嫌われても、自分の全てが否定されたわけではないんですけどね。

ちなみに、私がインド人の知人から聞いた話では、インドでは電車の中で、今日初めて会った知らない人同士が普通にしゃべってるらしいです。日本では、そんなことありえないですよね(笑)。私の会ってきた人の中では、人付き合いは苦手だけど、本当はコミュニケーションを取りたい、と思っている人は多い印象です(私もその一人です)。「放っておいて欲しいけど、放ってかないで欲しい」みたいな気持ちがあるんですよね。放っておいて欲しそうな人を放っておかないであげる優しさが、誰かを救うこともあると思います。

参考資料

前の記事
文化によって起きた墜落事故
次の記事
イギリス王室のヤバい職業
次に読んでみませんか?