あるフランスの植物学者がオスマン帝国(現在のトルコ)を旅していた時、道ばたに咲いているきれいな花を見つけ、その花を指さしながら近くにいたターバンを巻いた農夫にその花の名前を聞きました。農夫は自分のターバンが褒められていると勘違いして「チュリバンド(ターバン)」と答えたので、植物学者はその名を記録したといいます。
この、チューリップとターバンが似ていることによる勘違いがチューリップの名前の由来だそうです。今回はそんなチューリップをめぐって起きた世界最初のバブルと呼ばれる「チューリップバブル」について見ていきましょう。
1600 年代のオランダは、スペインから独立し、世界中に植民地を持つ大国へと成長していました。同時にオランダは高い山がなく平坦な地で、かつ、土壌が肥えており花が育てやすい地域なのでチューリップが多く栽培されていました。チューリップは、ヨーロッパで知られるようになってから富の象徴とされ、投機の対象となっており、オランダ人はチューリップに熱狂したのでした。猿がチューリップの取引をしているという、チューリップバブルの風刺画も描かれています。
チューリップにはある特徴がありました。普通の赤や白の一色のチューリップから出来た球根が、翌年、2色が折り重なった模様の花を咲かせることがあるのです。そのような複雑な模様の品種はとくに高値で取引されていました。この突然変異は、ウイルスが感染したことによって起こり、この突然変異のチューリップは病気なので、繁殖が難しく、希少な品種となるので、さらに高値になりました。
写真は、最高級のチューリップの品種 Semper Augustus(センペル・アウグストゥス)です。
チューリップのバブルをさらに加速させたのが、先物取引です。来年できると予想されるチューリップ球根の約束手形を発行します。今、手数料を支払って約束手形を受け取り、来年、球根ができてから代金と約束手形を渡せば、球根と引き換えてくれます。ある人が球根の農家に行き、来年収穫されるはずのチューリップの球根の約束手形を買うのですが、その後、根が成長する前に、その約束手形(球根を受け取る権利)を別の人に売ってしまい、儲けを得るが大勢いました。
中には、作る予定のない球根の約束手形を売ってから、さっさと逃げてしまうような人もいました。しかし、その存在しない球根を買った人は、約束手形を別の人に売ってしまえば自分は損をしません。このような現象によって、チューリップの球根の値段はどんどんつり上がっていきました。
先ほどの写真で紹介した最高級のチューリップ「センペル・アウグストゥス」には17世紀初めのオランダ一般国民の平均年収の 30 ~ 60 倍もの値段が付いたそうです。家も買えてしまう値段です。期日になれば代金が入ってくると信じた投機家たちは、馬車や馬に利益をつぎ込みました。
1637 年 2 月 3 日に、突然、球根の価格がピーク時の 100 分の 1 以下にまで下がり、バブルは崩壊しました。チューリップバブルとその崩壊によって、多くの人が一夜のうちに多額の財産を築いたり失ったりしました。チューリップバブルとその崩壊は、その後何年にも渡ってオランダ全土に不況をもたらしたと言われています。