フィロキセラと呼ばれる害虫はヨーロッパのブドウに悪夢をもたらしました。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
一方でフィロキセラが良い方の面で役割を果たしたこともあります。今日、世界中のブドウ畑では、ブドウの木が整列して植えられています。 ブドウ畑には直線的に支柱が立っており、その支柱にワイヤーが張ってあります。そのワイヤーに沿ってブドウの木が植えられており、枝や幹をワイヤーに固定して木の形を整えながら育てます。しかし、フィロキセラ以前はそうではありませんでした。
フィロキセラ以前は、枝取り法と呼ばれる方法でぶどうの木を増やしていました。枝取り法は、木を錯覚させて幹や枝から根っこを生やさせて、そこから切断することによって、株を増やすという方法です。土の中に埋めて、根っこが生えてきたら、切断して2つに分けたり、また別の方法では木の枝や幹の部分を傷付け、そこに土などを被せておいて、傷口から根っこが生えてきたところで切断して 2 つに分けたりします。なのでフィロキセラ以前はぶどうの木と木とがごちゃごちゃと不規則に植えられているのが当たり前でした。
フィロキセラ以後は元々ヨーロッパで栽培していた品種の根はほぼ全滅してしまったので、ほとんどのブドウの木をフィロキセラに耐性のあるアメリカの品種に植え替えて、接ぎ木しなければなりませんでした。接ぎ木については、こちらの記事をご覧下さい。
この時、新しく畑を作るに当たって接ぎ木の苗を自由に植えられたので、整列させて植えることができました。このことがトラクターの導入を可能にしトラクターが普及していき、ブドウの生産性が上がりました。
空襲は街を焼け野原にします。一方で、空襲によって街が更地同然になったことで一から区画整理ができたことも事実です。まっすぐで通行しやすい道路と町並みは空襲があったからできたというのは、なんとも皮肉なことです。 ブドウ畑においても、同じようなことがあったというお話でした。