新聞がイギリスに初めて登場した 1800 年頃、人々に新聞はほとんど浸透していませんでした。 理由は主に 3 つありますが、当時のイギリスの人口の8割が、農村に住んでいる農業の労働者だったことが関係しています。
当時の新聞は労働者にとっては、何が書いてるかわかんないし、高いし、どうでもいいし、みたいな感じだったんでしょう。
そう考えると当時の新聞は、今の私たちに取ってみれば VR ゴーグルみたいな感じでしょうか?一部の人たちは使いこなしているけれど、一般庶民にとってみれば、高いし、今後何に応用されるのかのか分からないし、、、みたいな。(すみません、VR ゴーグルを批判しているわけではありません。笑)
このように、最初は一部の実業家や資本家だけに読まれていた新聞ですが、時代と共に徐々に庶民にも浸透していきました。
理由は、先程の新聞が普及しなかった3つの理由のほぼ逆ですね。
挿し絵はかなりの変化だったと思います。今の新聞には挿し絵(写真)が入っているのは当たり前ですが、写真が入ってない文字だらけの新聞を想像してみると、読むのに労力がいりそうです。笑
挿絵は、ショッキングな殺人の様子がその記事の文章と一緒に描かれることが多かったようで、読者も新聞に対して過激な事件を求めていました。「こんなに残酷な殺人が!」とかいう記事は当たり前で、実際の事件は盛りに盛られて報道されていました。挙げ句の果てには、全て作り話の記事もあったそうです。この頃から、現代のマスコミのような、刺激的で感情を煽るような情報を伝えるという構造ができあがってきたようです。