第2次世界大戦時、イギリスは食糧難に陥りました。ドイツの潜水艦(U ボート)が食糧をイギリスへ輸送する商船を標的にしたのでした。 イギリス政府は、市民にキャベツなどの野菜を作るようにうながしました。「Dig for Victory (勝利のために耕そう)」と農業大臣が宣言しました。使われていない土地を利用して至る所ににアロットメントと呼ばれる市民農園が作られました。余っている土地はどこでも利用され、鉄道線路のそばの土地なども耕されました。当時発売された「菜園家ハンドブック (Vegetable Grower's Handbook)」では、このように読者に訴えました。
「必要な作物はすべてわが国で生産できるようにしようではないか。1939 年にわが国は 850 万トンの食糧を海外から輸入していた。 それが 1942 年にはわずか 13 万トンになった。政府が家庭での食糧生産をうながすのも当然だ。」
-- 図説 世界史を変えた 50 の植物
ちなみに、第1次世界大戦時にもイギリスでは、ドイツによる経済制裁を受け食糧難となり、市民にアロットメントを作るように呼びかけました。アロットメントで野菜を栽培するときに、クローシュ(chroshu、日本語で鐘の意味)と呼ばれるビニールハウスの小さい版みたいなものが開発され、農園の生産量を上げました。クローシュを使えば、畑を増やさなくても野菜の収穫が倍増し、栽培日数も数週間は短縮でき一年中新鮮な野菜が手に入る、とされました。
※画像は現代のものです。
学校にも農園が作られ、児童たちは授業の一環としてキャベツなどを育てて収穫しました。そして彼らは、のちに新しい戦後世代の農園家となりました。また、戦時下にキャベツなどの野菜を多く消費したことによって、大部分の市民の食生活が改善され、肥満も少なくなりました。イギリス国民がとても健康になったのは、 市民農園のおかげでもありました。