1999年、大韓航空8509便が墜落しました。この飛行機は、韓国ソウルの金浦空港からミラノへ向かう予定でしたが、離陸直後に墜落しました。原因は機器の故障に加えて機長の不適切な操縦によるものでしたが、それが起こってもなお、副操縦士が機長に対して異議を唱えなかったという問題が指摘されました。
事故調査報告書は、この事故の原因の一つととして、機長と副操縦士の間のコミュニケーションの文化的な問題点を指摘しました。儒教文化です。
儒教では、上下関係が絶対のような文化があり、位が下の人が上に物を申すというのは考えられないことです。事故を起こした大韓航空8509便の機長と副操縦士は儒教国家の韓国人同士で、両者の間にはもちろん明確な上下関係が存在し、副操縦士が機長の判断に異議を唱えることが極めて困難であったと考えられます。上の言うことには下の人は何も言わずに従うことが求められていました。これが、間違いを正すチャンスを逃し、最終的に事故につながったと考えられています。
操縦士と副操縦士は、共に彼らは操縦の専門家で、それぞれが重要な責任を持ち本来ならばお互いの意見を尊重すべきです。しかし、副操縦士が操縦士に対して「これは違うんじゃないですか?」と意見を述べることは、安全上は当然の権利ですが、文化的には、禁忌に近いのです。
また、大韓航空の企業文化にも問題がありました。大韓航空では、本来パートナー関係にあるべき機長と副操縦士の間に、機長を「主人」、副操縦士を「手伝い」とみなす明確な上下関係が存在していました。この関係性のもとでは、副操縦士が機長に対して異議を唱えることは望ましくなく、副操縦士が機長に代わって操縦すること自体が、機長の面子を損ねる行為とみなされていたのです。
さらに、機長は韓国の軍隊出身でした。大韓航空では大韓民国空軍の退役将校をパイロットとして雇うことが一般的であり、特に採用の際には大型航空機の操縦経験の有無よりも、応募者の大韓民国国軍での階級が重要な判断基準となっていました。元戦闘機パイロットである人が、大型航空機や民間機の操縦経験が全くないにも関わらず、その軍での地位、例えば「大佐」という階級が高いことを理由に、大型民間貨物機の機長として採用されるのです。事故を起こした機長も、このような経歴を持っていました。
副操縦士には機長の操縦を監視し、機体のバンクやピッチが通常を大きく超えた場合には助言や操縦介入を行う義務があります。しかし、離陸後の脚を上げる段階から墜落までの約45秒間に副操縦士が発した言葉は、高度の読み上げ、管制との無線通信、機器が故障していた際に、他の機器情報を使うすることを提案したことのみでした。副操縦士席側の機器は正常に動作していたため、航空機関士からの助言は聞こえていたはずですが、異常なバンク角、ピッチ、速度が表示されていたにも関わらず、それらについては最後まで何も発言していませんでした。そして警告音が鳴り響いているにもかかわらず、副操縦士は機長の操作ミスを修正できず、機長に修正を求めることもありませんでした。その結果、事故に至ったのです。
副操縦士は経験が浅く(総飛行時間1,406時間)、離陸後の様々な業務に追われ、機体が異常な姿勢にあることに気付かなかったか可能性もありますが、一応訓練を受けて試験に合格したパイロットであるので、離陸前に機長から受けた厳嫌がらせの罵倒のため、機長の操縦に問題があると感じても口を挟むべきではないと感じていた可能性のほうが現実的でしょう。
文化は尊重されるべきですが、それが人命に関わる場合は、文化を超えて、安全を最優先に考えるべきではないでしょうか。