第 2 次世界大戦後のアメリカとソ連の冷戦の時代は、民主主義 VS 共産主義の時代でもありました。アメリカ生まれのコカ・コーラは、世界に瓶詰め工場を広げグローバル化を進めていました。コカ・コーラは自由、民主主義、資本主義を表すものとなっていました。 共産主義の支持者達は、資本主義の象徴であるコカ・コーラをやり玉に挙げ、バッシングを行ないました。彼らは、コカ・コーラが広まるとアメリカ的な価値観が広がり、ヨーロッパ各国が汚染されると主張しました。コカコーラを飲むとガンになる、不妊になる、髪の毛が一晩で真っ白になる、等のデマを流しました。
ちなみに、ビール会社、ミネラルウォーター会社、清涼飲料水業者は、コカコーラに市場を独占されないようにするために共産主義側についてコカコーラの抗議運動を行ないました。1948 年度のコカ・コーラ社の総会で掲げられたプラカードには、以下のように書かれていたそうです。「共産主義者について考えるとき、 我々の頭には鉄のカーテンが思い浮かぶ。 だが、共産主義者が民主主義について考えるとき、彼らの頭に思い浮かぶのはコカ・コーラだ」
そして、1989 年にベルリンの壁が崩れ、東ヨーロッパの共産主義体制が崩壊していき、1991 にはソ連も崩壊します。ベルリンの壁を越えて西側に流れ込んだ東ドイツの人々が一番に買い求めた物は、ハイ・ファイ機器、 テレビ、冷蔵庫、食料など、そして箱入りのコカ・コーラでした。ある西ドイツ人は、「我々はやってきた人々をバナナ、コカ・コーラ、花など、西側の消費者義の味がするもので歓迎した」と言ったそうです。
2000 年頃に起きた中東戦争では、コカ・コーラなどのアメリカの清涼飲料水への攻撃を通して反アメリカ主義を主張する運動が起りました。タイのイスラム教の若者達は、コカ・コーラを地面に投げつけてぶちまけるという抗議行動を行ないました。一方で、2003 年にアメリカ軍はバクダッドのサダム・フセイン宮殿を占拠した際にバーベキューを行い、ハンバーガ とホットドッグを食べ、そしてコカ・コーラを飲みました。自由、資本主義、グローバル化などなど、コカコーラはアメリカ的なものの象徴でした。