日本でキノコの王様といえば、松茸です。そんな松茸の歴史を、日本の歴史と共に解き明かしていきましょう。奈良、平安時代には遷都が繰り返し行なわれていましたが、遷都のたびに宮廷やお寺などを建て直すので、木材が大量に必要になりました。木材はもちろん、周囲の山の森林から取ってきます。なので、関西、近畿地方の森林は伐採し尽されて栄養のないはげ山になってしまったのです。
栄養がない土地には、木は育ちにくいのですが、そんな、はげ山の痩せた土地でも育つ木があります。それが赤松です。関西、近畿地方は赤松林がとてもたくさん増えました。
松茸もまた、赤松と同じように栄養のない痩せた土地に生えるので、赤松の林で収穫されます。
アカマツは他の樹種 が生長できないやせた土地で勢力を伸ばすことから、アカマツ林とは荒廃傾向の林地の象徴といえるのだ。現在の京都東山一帯のようなアカマツ純林が形成されるのは平安時代以降だ。(略)マツタケは樹齢 20 年から 8 年のアカマツの幼根だけに寄生し、土壌湿度が 30 度以下の地表付近がやや乾燥し通気がいい環境で生長する。アカマツとともに常緑広葉樹が生えている湿潤な森林でマツタケが生長することはない。
-- 気候で読み解く日本の歴史―異常気象との攻防 1400 年 p.68
また、豊かな森林には、ヒラタケが育ちます。森林伐採が大々的に行なわれる前までは人々はヒラタケを食べており、森林伐採の後から松茸が食べられるようになったのです。
平安時代後半に京都周辺でヒラタケが減少しマツタケが増加していった(略) ヒラタケが京都の森林から消え、一方でマツタケが食卓を潤す。日本人が食材としてマツタケを好む源流がここにある。マツタケの香りを好ましいと考えるのは日本人だけといっていい。欧米では松脂臭いとして嫌がられ、中でもマツタケは乾燥させて煎じて漢方薬として用いられる。
-- 気候で読み解く日本の歴史―異常気象との攻防 1400 年 p.69
そんなわけで、日本では松茸がたくさん食べられるようになったというわけです。また、畳や漆喰は木材の不足によって使われ始めました。希少な木の板の代わりとして床には畳が敷かれ、壁には漆喰が塗られるようになりました。森林伐採が、日本の伝統食材や伝統建築を生み出していたんですね。