メイドと聞くと、今の日本では喫茶店で働いて「おかえりなさいませ」と言う女性の従業員を思い浮かべますが、元々の意味は「家事使用人」「家政婦」のことです。古くからあったメイドという職業が急増したのは 19 世紀末でした。メイドは 150 万人近くに増え、当時のイギリスで最も人口の多い職業グループとなりました。 理由は、工業化とともに成長してきた中流階級の生活水準が上昇したことです。
ヴィクトリア時代後期には、15~20 歳の女性のおおよそ 3 人に 1 人がメイドとして働いていたそうです。そして当時、その家庭にメイドがいるかいないかは社会的地位の目に見える判断材料となりました。メイドを雇える=上流階級 というわけです。
19 世紀末にイギリスのヨーク市の貧困調査を行った S. ラウントリは、家事使用人雇用の有無によって、 労働者階級とそれ以上の階級を区別したそうです。当時の上流階級の家庭では、メイドを雇い、女性は特に何もせずに暇をもてあまして、男性の稼ぎに依存するのが常識でした。そして、上流階級のまねをすることによって自分を少しでも良く見せたい中流最下層の家庭では、生活が苦しいのにもかかわらずメイドを雇い、奥さんは働かないでいるという状況が多かったそうです。
上の絵は 1870 年頃の風刺画です。原題は『Dinner Locust』。Locust はイナゴのことで、右に立っている食事をたかりに来た男を指しています。この男も、奥に座っている主人も、裕福ではない中流下層市民だと思われます。奥に座っている主人の表情は「こっちも生活苦しいんだから、たかりに来るなよ!」という本音を隠して平静さを装っているように見えます。彼らは、たとえカーペットは擦り切れ、 家具はみすぼらしくても、なんとかして 1 人のメイドを雇っておきたいと苦しい努力をしたのでした。