タカラガイは海に生息する貝です。裏を返すと女性器の形をしていることや、妊婦のお腹のふくらみに似ていること、そして生命の源である水と関係することから、古くから安産のシンボルとして使われています。日本でも子安貝と呼ばれ、出産の時に手に握ると安産になると信じられてきました。貨幣の「貨」の漢字には「貝」がつくように、貝は貨幣(お金)としても使われた歴史があります。貝は偽造が難しく、壊れにくくて長持ちすることなどから貨幣に適しています。特にタカラガイは大きさと形がそろっているので、貨幣に向いています。
18 世紀、モルディブ産のタカラガイは奴隷と交換する貨幣として使われました。ヨーロッパの船乗りたちは無数のモルディブ産タカラガイを仕入れ、それを西アフリカ(上の地図の左下の地域です)で人間の奴隷と交換しました。貝殻が支払われると奴隷は船に乗せられて大西洋を横断し、多くはカリブ海の大農園で働かされました。
ヨーロッパの奴隷商人は、アフリカの王や商人との取引には貝殻を使うと具合がよいことを知っていました(弾薬、武器、そのほかの工業製品も人間との交換に使われました)。取るに足らない値段の貝殻を輸入して奴隷と交換するという取引は大きな利益を生みました。奴隷1人に対して、多いときには 15 万個のタカラガイが交換されたといいます。
1807 年にイギリス政府が奴隷の売買を禁止したために、タカラガイと奴隷の交換は終わりました。しかし次に、タカラガイはヤシ油との交換に使われました。当時は世界中で使用されるヤシ油のほとんどが西アフリカで作られていました。イギリスの貿易商はモルディヴのタカラガイでヤシ油を買い続けました。ヤシ油は、この時代に起った産業革命と密接な関係があります。 ギアなど機械の動きをなめらかにする機械油として、住居や工場のランプの油として、そして工場の汚れを落とす洗剤の原料として大量に使われました。
しかし、モルディブ以外の地域でもタカラガイが発見されたことによりタカラガイの流通料がとても増え、タカラガイの価値はガクンと下がりました。(あるものが増えるに従って、そのものの価値は下がります。)たちまち、手のひらいっぱいのタカラガイが何の価値もなくなってしまいました。そしてタカラガイの貨幣としての交換は終わりを迎えました。