映画評論家宇多丸氏が指摘しているように、この映画はイスラム側の説明がほとんどなされておらず、悪役としての背景も深掘りされていない。
(Movie Whatchman 宇多丸)非常に一方的な視点で描かれており、主人公たちの英雄的な物語を際立たせるための単なる対比に過ぎないと言える。このような描写であれば、犯人がイスラム教徒である必要はなかったとも指摘できる。
主人公のスペンサーとアレック、アンソニーは、学校でいじめに遭っており、それがきっかけで 3 人は仲良くなる。アンソニーはアフリカ系の出自で、学校の生徒たちの大半がコーカソイド(白人)であるため、彼はいじめの対象になった。人種は視覚的に明確なため映像作品で伝えやすいテーマであるが、地域社会の偏見や文化的背景といったいじめの背景は伝わりづらい。これらの要素を理解することで、物語の深みが増す。例を挙げると、
スペンサーとアレックは両親が離婚しており、母親に育てられていたため、学校でいじめに遭っていた。彼らが通っていたキリスト教系の学校では、家族の絆が重んじられ、離婚は否定的なものと見なされていた。このため、彼らが学校生活に溶け込むことは一層困難であった。
-- 町山智浩映画時評