良い薬と悪い薬というものは存在しない。この化学物質は良いものでも悪いものでもなく、ただそこに存在している。人間が作り出すか、自然界に存在するかのどちらかだ。そして、その物質と人間の関係が問題。
-- ミッドナイトゴスペル: 王の味
良いか悪いかは、それを使う人間の問題だといういけんだ。けれど、この論を肯定してしまうと、今アメリカで問題になっている銃の、使う人間の問題だという意見に通じてしまうので、完全には賛成できない。
主人公と大統領はゾンビと戦っていくが、最後にはゾンビに噛まれて自分たちもゾンビなってしまう。ゾンビになってみると、視界が黄色く見えて、他のゾンビが、人間から見えていたゾンビとは違うものに見える。ゾンビは皆、楽しそうにしていて、しかも歌を歌っていたことがわかる。ゾンビは、がうなっている声は実は歌だった。
まず生まれ、 そして死ぬ。 そしてその間に、 ほとんどの人は泣いてばかりいる(泣いて、泣いて、泣いて)。
かつて私たちは盲目だった。 でも今は見える。 ゾンビになるのは気分がいい。
ゆっくりと動く。 走る必要はない。 それに、走ることに何の意味がある? 愛から逃げることに何の意味がある?
人生は牢獄だった。 鍵を見つけた。 ゾンビに噛まれて。
-- ミッドナイトゴスペル: 王の味
そんな、楽しそうに歌っているゾンビだが、ゾンビを直す注射を投げる一団によって、次々と人間に戻っていく。人間側から見れば、気持ち悪くて危険なゾンビを人間に戻してあげることは、良いこととして何の疑いもなく注射針を投げ続ける。
しかも、この治療を、ゾンビと人間の戦闘の中で行うので、人間に戻ったゾンビはすぐに他のゾンビに食べられて死んでしまう。ゾンビの状態が長ければ長いほど、長生きできる?という、とても皮肉な状況だ。
ゾンビを人間に直すが
治ったとたん、他のゾンビに襲われる。
人間に戻った赤ちゃんを、赤ちゃんと手をつないでいたゾンビが、食べようとする。
大きなゾンビ治療の注射針が刺さって体に大きな穴が開くと同時に注射針の薬によって人間に戻る。しかし注射針が刺さった穴が開いて出血して死んでしまう。そして、人間に戻った彼を生きたまま食べたかった、彼の隣にいたゾンビは残念がる。これも、人間に直してあげようという行為が死を意味するという皮肉な結果だ。