中国の有名な古典『論語』の中に、このような話があります。子貢という人が先生に、政治とは何かを聞きました。先生は言いました。『食物を十分にし、軍事を十分にし、人民に信用してもらうことだ』
子貢が聞きました。『もし、やむを得ない理由で、この3つのうちのどれかを諦めなければならないとしたら、どれを先に諦めましょうか』先生は言いました。『まずは、軍事を諦めなさい』。
さらに子貢が聞きました。『もし、やむを得ない理由で、残りの2つのうちのどちらかを諦めなければならないとしたら、どちらを先に諦めましょうか。』先生は言いました。『食物を諦めなさい。古来から人はみな死ぬ定めにあるが、人民に信頼がなければ国家は成立しないのだから』
渋谷栄一は、この言葉に影響を受けて、経営や政治の活動を行ったと言われています。この話に登場する信頼、軍事、食物ですが、今も天皇家に代々受け継がれている三種の神器が表すものと、めっちゃ似ているんです。古事記によれば、アマテラスはホノニニギが地上を支配するにあたって、鏡と剣と勾玉を授けたとされています。これが三種の神器です。
鏡と剣と勾玉は、それぞれ宗教、戦争、農業の象徴とされています。剣は戦いに使用するので、もちろん戦争の象徴です。鏡は、古事記によればアマテラスが「この鏡は我が御霊(みたま)として私の前で拝むように大切に扱いなさい」 と言って、ホノニニギに授けました。 つまり、鏡はアマテラス自身のたまし霊代(たましろ)であり、直接的に宗教にかかわるものとされています。玉についても、アマテラスがイザナギに高見原の支配を命じられた時に授けられたとあり、その玉の名前は御蔵板挙(ミクラタナ)です。タナとは、稲の種を指す言葉で、農業の象徴といえます。三種の神器のそれぞれの象徴である、宗教、戦争、農業は、論語に出てくる信頼、軍事、食物と、ほぼ同じものを表していますね。
三種の神器のような言い伝えはスキタイ人の言い伝えにも見られます。スキタイ人の三点の聖器とは、杯・斧・耕具で、それぞれ宗教(=王権)・軍事・食料生産の象徴です。このように、政治の基礎は、宗教、戦争、農業であるという考え方は、様々な神話や逸話に登場します。ということは、政治において大切なのはやはりこの3つなのではないか、という気がしてきますね。